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東京地方裁判所 平成8年(ワ)3529号 判決

②事件

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

井上四郎

井上庸一

被告

甲野春子

甲野夏子

右両名訴訟代理人弁護士

井手大作

主文

一  被告らは、原告に対し、それぞれ、別紙物件目録記載の建物を明け渡せ。

二  被告らは、原告に対し、各自、平成九年九月一二日から前項の建物明渡ずみまで月額金一六万円の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の請求を棄却する。

四  訴訟費用は被告らの負担とする。

事実及び理由

第一  原告の請求

一  主文第一項と同旨。

二  被告らは、原告に対し、各自、平成八年三月一〇日(本件訴状送達の日の翌日)から別紙物件目録記載の建物(以下「本件建物」という)明渡ずみまで月額金二〇万円の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

一  本件は、本件建物を所有する原告が、その長男甲野太郎(以下「太郎」という)に対して同建物を無償で貸し渡して太郎の家族にこれを使用させていたところ、同夫婦の婚姻破綻と別居に伴い、太郎の妻である被告甲野春子(以下「被告春子」という)及びその長女である被告甲野夏子(以下「被告夏子」という)に対し、所有権に基づき、同建物の明渡等を求めたという事案である。

二  争いのない事実など

1  原告は、本件建物を所有している。

2  太郎と被告春子は、昭和四七年一二月一日に婚姻し、両名の間には、長女被告夏子(昭和四九年九月生)、二女秋子(昭和五一年三月生)及び三女冬子(昭和五三年四月生)がいる。

3  原告は、昭和五五年二月頃、太郎に対し、本件建物を、太郎とその家族が共同生活を営むための住居として使用することを目的として、返還時期を定めずに、無償で貸し渡した(以下これを「本件使用貸借契約」という)。

4  太郎は、被告春子が「エホバの証人」に入信し、その後被告夏子ら子供たちも次々に入信したため、この宗教を受け入れることはできないとして被告らと対立し、平成七年一二月一五日から本件建物を出て被告らと別居している。

5  そして、太郎は、平成七年に東京家庭裁判所に対して被告春子を相手方として夫婦関係調整の調停を申し立てたが、離婚の合意に至らなかったため、平成八年二月二七日、当裁判所に対して離婚の訴えを提起した(当裁判所に顕著な事実である)。

二  争点

1  本件使用貸借契約の終了の有無

(原告の主張)

太郎と被告春子間の婚姻関係は、被告らの前記入信による家庭生活の崩壊と平成七年一二月一五日に太郎が本件建物を出て別居したことにより破綻し、これにより本件使用貸借契約における使用目的は終了し、したがって、同契約は終了した。

(被告らの主張)

原告の主張は否認する。

太郎は、単身赴任期間中及び別居期間中にも、被告ら家族のもとに顔を出しており、本件建物においては、現在でも太郎及び被告らの共同生活が営まれているのであるから、同建物を右共同生活に使用するという目的は未だ終了していない。また、被告春子は、前記離婚訴訟においても、太郎との間の婚姻関係破綻の事実を争っている。

2  原告の本訴請求が権利の濫用に当たるか否か

(被告らの主張)

(一) 被告春子は、エホバの証人に入信した後、同宗教に対する太郎の反発はあったものの、太郎との家庭生活を最優先にしており、被告春子の宗教的活動が太郎との婚姻関係に現実的な支障を来したことはない。にもかかわらず、原告は、被告春子が昭和六〇年に甲野家の信仰する神道の禊教真派の神棚を返還し、エホバの証人の信仰を止めないことから、被告春子を嫌悪し、太郎に圧力をかけて被告春子との離婚を要求したものであり、太郎と被告春子間の婚姻関係に亀裂が入ったのは原告の右妨害行為によるところが大きい。

(二) 原告は、本件建物を他に賃貸して賃料収入を上げる必要があるなどとして自己使用の必要性を強調する。しかし、原告は、亡夫の死亡により、本件建物や自宅等相当の資産を相続したほか、年金収入を得ている。さらに、原告は、現在、自宅を建て替えて賃貸マンションを建築する予定でおり、これによって賃料収入を得ることができるのであるから、本件建物の明渡を得なければ生活に困るというような状況にはない。

(三) これに対し、被告らは、いずれも病弱であるため、正規社員として採用され相当額の給料を得ることは極めて困難であって、本件建物から退去して新規に他の建物を賃借することは経済的に不可能である。

(四) 原告は、本件建物に居住している被告夏子ら子供たちの祖母であるから、民法八七七条一項により直系血族としてこれらの者に対して扶養義務を負っており、その生活を援助すべき立場にある。

(五) 以上によると、仮に本件使用貸借契約が終了しているとしても、原告の本訴請求は権利の濫用に当たり、許されない。

(原告の主張)

(一) 被告らの主張はすべて否認する。

(二) 被告らは、エホバの証人の布教活動にしか関心がなく、自らの労働によって生計を立てようとはしない。太郎が前記別居により被告春子に対して婚姻費用の支払を余儀なくされている結果、原告は、太郎から生活の援助を受けられなくなっている。

したがって、原告が本件建物の明渡を得てこれを第三者に賃貸して収入を得ようとすることは、何ら権利の濫用に当たるものではない。

第三  当裁判所の判断

一  本件使用貸借契約の終了について

1  太郎と被告春子間の婚姻関係の破綻の有無

(一) 前記争いのない事実と証拠(〈略〉)及び弁論の全趣旨を総合すると、次の各事実が認められる。

(1) 太郎と被告春子は、昭和四七年一二月の婚姻以後、三人の子供をもうけ、円満な家庭生活を営んでいたが、被告春子は、その後体調を崩し、現在も丈夫ではない。

(2) 原告の家では、代々、神道の禊教真派を信仰してきたため、太郎と被告春子は、婚姻時に原告の家から神棚をもらい、これを自宅に祀ってきた。

被告春子は、昭和五八年夏、エホバの証人のバプテスマ(浸礼)を受け、その信仰を続けている。そうしたことから、被告春子は、自宅に神棚を祀ることを止め、太郎に相談することなくこれを仕舞い込んだ。ただし、太郎は、原告からその後に右事実を聞かされるまで、気付かなかった。

(3) 昭和六〇年頃、太郎は、エホバの証人の信者による輸血拒否事件の報道を契機として、被告春子のエホバの証人に対する信仰が篤いものであることを知った。また、その後、被告春子が神棚を原告に返還したことから、原告がこれに激怒し、被告春子が原告宅に出入りすることが禁じられるに至った。

その際には、太郎は、原告から、被告春子と離婚するか又は長男の資格を捨てて財産の相続を放棄するかの選択を迫られたが、その当時は、いずれ被告春子も改心するものと考え、原告に対して後者を選択する旨の書面を差し入れた。

(4) 被告春子は、被告夏子ら子供たちをエホバの証人の集会等に同行するなどし、右子供たちは次々にエホバの証人に入信するに至った。

(5) 太郎は、その間、原告の強い意向を受け、また、エホバの証人に対する世間の批判的意見を耳にする中で、被告らに対し、エホバの証人を信仰することについて反対するようになり、家族でクリスマス等を祝うことができないことについても不満を持つようになった。

(6) 被告春子は、前記入信後、集会について、週三回、月曜日の午後九時三〇分から一一時三〇分まで、火曜日の午後七時三〇分から八時三〇分まで、木曜日の午後七時から八時四五分まで参加するほか、月に一、二時間程度奉仕活動を行ってきている。

被告春子は、太郎の帰宅時刻にあわせて集会への参加時間を調整したり、また、参加自体を見合わせることにしたりして、太郎が自宅で夕食を取るのに不便がないように心掛けており、その間には、太郎らと家族旅行をすることもあった。

もっとも、太郎は、被告らがエホバの証人の信仰を止めないことから、昭和六一年二月頃から半年間ぐらい、被告らとは一緒に食事を取らないこともあった。

(7) 原告の夫一郎が平成六年一二月二八日に死亡したが、その際、太郎は、被告春子が神式による葬儀に出席した場合に予想される親族とのトラブルを恐れ、その出席を予め拒否したため、被告春子はこれに出席しなかった。

(8) 太郎は、その後、被告春子に対して強く離婚を求めるようになった。太郎は、平成元年九月から平成七年一〇月頃まで単身赴任をしていたが、被告春子は、太郎と離婚問題について話し合った際、太郎の立場を慮り、三女冬子が高校を卒業する二年後において離婚することをいったん了承した。

しかし、被告春子は、自分自身が健康でないし、未だ自立できず病気がちの子供らの面倒を一人で見ていくことに不安を感じ、精神面及び経済面からみてやはり太郎と離婚することはできないものと考え、その後太郎に対し、離婚の了承を撤回する旨伝えた。

(9) 太郎は、東京家庭裁判所に対して調停を申し立てたが、離婚についての合意は成立せず、当分の間別居すること及び婚姻費用の分担等について合意するだけにとどまった。そのため、太郎は、同年一二月一五日、原告宅に引っ越し、それ以降被告らと別居し、平成八年二月、前記離婚訴訟を提起した。

(10) 以上のような経緯をたどる中で、太郎は、被告春子がエホバの証人の教義を信仰した上で、他の宗教を否定し、神道による儀式になじまず、ハルマゲドンを信じ、進化論や輸血を否定する旨の発言を続け、太郎に同調する様子を示さなかったことから、それまでは被告春子の改心に期待を寄せてはいたものの、現在では、被告春子のそのような考え方と態度に絶望するとともに、被告夏子ら子供たちも被告春子と同様の考えでいるため、もはや意思の疎通は不可能であるとして、離婚を強く望むに至っている。

(11) 一方、被告春子は、エホバの証人の信仰を止めることはできないとしながらも、太郎との婚姻生活を継続することを希望しており、今後は太郎の生活に迷惑がかからないように宗教的活動を控えるつもりでいるから、太郎も宗教的寛容さを備えるべきである旨述べている。

(二) 以上認定の事実関係に基づいて、太郎と被告春子間の婚姻関係破綻の有無について検討する。

太郎と被告春子は、被告春子がエホバの証人を信仰するようになって以降、それが原因で夫婦間に亀裂が生じて不和となり、約六年間に及ぶ太郎の単身赴任生活を経て、正式の別居期間も約二年になろうとしている。

もっとも、その間における被告春子の集会等への参加状況というのは、前記認定の程度にとどまるものであるから、被告春子のそうした宗教的活動が太郎との婚姻生活に対して現実的に重大な支障をもたらしたものとまではいえないというべきである。そして、被告春子は、前記のとおり、太郎との婚姻生活の継続を強く望んでいる。

ところで、夫婦間においても、個人の信教の自由が保障されるべきことは当然のことであるが、その一方で、夫婦は、相互の協力によって共同生活を維持していくべき義務を負っている(民法七五二条)。

右の観点から本件をみると、被告春子の信仰をめぐる太郎と被告春子間の諍いは既に一〇数年に及び、その間、太郎は、当初においてはもっぱらその両親との関わりにおいて被告春子の信仰を嫌悪し、その信仰を止めさせようと働き掛けてきたものであったが、それにもかかわらず被告春子が右信仰については譲らず、太郎の側に歩み寄って来ないため、前記認定のようなエホバの証人の教義を正当なものとして信奉する被告春子に対して、自らも次第に強い反発と不信感を抱くようになるとともに、被告夏子ら子供たち三人とも被告春子と同じ考えでいるために絶望感を抱くに至っており、そのため、太郎と被告春子の対立ないし考え方の相異は既に相当深刻なものとなっているところ、被告春子においては、太郎に対しては宗教的寛容さを求めながら、太郎と折り合っていくために自らの信仰を変えるというようなことはできないとしているのである。

以上のところによると、被告春子はエホバの証人の信仰を絶ち難いものとしているのに対し、太郎は、現在では、右信仰を変えない被告春子との間で婚姻生活を継続していくことは到底不可能であると考えており、そのような夫婦間の亀裂や対立は既に一〇数年にわたって継続されてきたものであり、これまでにも何度となく話合いがもたれ、その間、被告春子においてもいったんは太郎との離婚を了承したこともあったことなどの経緯に照らすと、今後、どちらか一方が共同生活維持のため、相手方のために譲歩するというようなことは期待できないものといわざるを得ないのであって、太郎と被告春子間の婚姻関係はもはや継続し難いまでに破綻しているものと認めるのが相当である。

そして、当裁判所は、本日、前記離婚訴訟について、右と同一の判断に基づき、太郎の離婚請求を認容した旨の判決を言い渡した。

2 以上によると、太郎と被告春子間の婚姻関係はもはや破綻し、太郎は本件建物から出てしまい、他で居住するようになったものであるから、本件建物を、太郎とその家族が共同生活を営むための住居として使用するという本件使用貸借契約上の目的に従った使用収益は、本件口頭弁論終結時(平成九年九月一一日)には既に終了したものといわざるを得ない。

したがって、本件使用貸借契約が終了したとする原告の再抗弁は理由があり、被告らは、右時点後は本件建物の占有権原を失ったものというべきである。

二  権利の濫用について

1 被告らは、原告の本訴請求は権利の濫用に当たるとして、前記のとおり原告と被告らそれぞれの諸事情を主張する。

たしかに、原告の家では、代々、神道の禊教真派を信仰しており、原告自身、エホバの証人に対する被告春子の信仰を嫌悪し、神棚の返還を受けたこともあって、太郎に対して被告春子の右信仰問題について強い不満を述べていたことや被告らがいずれも丈夫でないことは、前記認定のとおりである。

また、前掲各証拠によると、原告は、現在改築中の自宅のほか資産を有するのに対し、被告らは、太郎から婚姻費用二二万円の支払を受ける程度で、自らは十分な収入を得ていないことが認められる。

2 しかしながら、これまでの全判示によっても、太郎と被告春子間の婚姻関係破綻の原因が原告の圧力によるものであるとまでは認められないし、そもそも、本件建物は、原告が長男太郎の婚姻生活の便宜を考えて無償で使用させることにしたものであって、現在では太郎と被告春子夫婦の婚姻関係が破綻し、太郎がこれに居住しなくなってしまった以上、原告が被告らからその明渡を得て、これを自己のために使用したいと考えることをもって直ちに不当なものと評価することはできないというべきである。

そして、被告春子の離婚後の住居の点を含めた生計や扶養の問題は、本来的には、太郎との離婚に伴う財産分与の問題として解決が図られるべきものである。実際にも、証拠(〈略〉)及び弁論の全趣旨によると、太郎と被告春子間では、前記調停当時から、被告らの本件建物からの退去が懸案となっており、その協議を遂げて合意することが今後の課題とされていたこと、そして、太郎は、本訴ないし離婚訴訟の弁論兼和解期日や尋問の際には、被告らの新しい住居の取得問題につき、財産分与として一定の金員を分与し、これを右住居取得資金に充てることにするよう提案するなど、右住居問題について積極的に協力する旨の発言をしていることが認められ、そのほか、太郎がこれまで毎月二二万円もの婚姻費用の負担を継続してきていることの実績等に照らして考えると、今後の財産分与に関する協議の中で、太郎が、被告らの住居の点を含めた経済面に対して援助を惜しむようなことはないものと認められる。たしかに、現時点においては、太郎と被告春子間の離婚問題は、財産分与の点を含めて確定的な解決に至っていないのであるが、この財産分与の点に関しては、被告春子側からは、離婚自体を争っていることもあって、仮定的にせよ具体的な提案がなされていないのである。

3 以上のところを総合して考えると、前記のような婚姻関係破綻に至る経緯や原告及び被告らそれぞれの財産状況、原告が被告ら子供たちの祖母であるという身分関係等に関する事情だけをもって、原告の本訴請求が権利の濫用に当たるものとは未だ認めることはできないといわざるを得ず、他にこれを認めるに足りる的確な証拠はない。

三  賃料相当損害金について

原告は、本件建物の賃料相当額を月額金二〇万円と主張するが、乙二号証によると、右賃料相当額は月額金一六万円の限度でのみこれを認めることができ、これを超える金額についての立証はない。

四  以上によると、原告の本訴請求は主文第一項及び第二項の限度で理由があるというべきである。なお、仮執行宣言は相当でないので、これを付さないこととする。

(裁判官安浪亮介)

別紙〈省略〉

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